「犬板」って常識が通じない板なのかな?
『犬の日本史—人間とともに歩んだ一万年の物語』谷口研語著PHP新書
くらい目を通してもいいんじゃない?
日本犬の2大ルーツである「縄文犬・弥生犬」について概略知っても損はない。
面倒だから引用すると…
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-35.htm... 縄文犬と弥生犬
日本犬は、「南方系」と「南方と北方との混血系」とに大きく分かれるという。
縄文時代の日本列島樺太、千島には、体高40cmくらいの小型で、キツネのような顔立ちをした「縄文犬」がいたのだが、
渡来してきた弥生人が連れてきた犬と混血し、やがて、柴犬、紀州犬、甲斐犬、四国犬などに分岐するもとになる、前頭部にくぼみを持ち、頬骨が張り出した「弥生犬」が形成されたらしい。
一方、そのまま沖縄で生きてきた犬は、琉球犬の祖犬となり、北海道の犬は北海道犬の祖犬となった。
北海道犬と琉球犬が近縁であることが、血中タンパク質の遺伝子組成を比較した最新の調査で確認されたという。
「動物考古学」の西本豊弘・国立歴史民俗博物館教授によれば、犬を見ていくことで、歴史の中での日本人の動きを探ることができるという。
紀元前7000 年から8000年くらいの縄文時代の犬の骨が、愛媛と神奈川の遺跡で見つかっている。
当時の犬が人間と同じように埋葬されていたことから、縄文時代人は犬をとても大事にしたらしいことがわかる。縄文犬は狩猟犬として扱われていたようであるが、狩猟中に怪我をして骨折した犬も多く役に立たなくなっても大切に飼育されていたらしい。
しかし、弥生時代になると犬に対する扱いは激変する。
犬の種類も代わり、ほとんど埋葬されなくなり、骨もバラバラの状態で出土し、解体痕が認められる。
要するに食料とされていたのである。
このことからも、弥生人が縄文人とは別の民族であったことが推測される。
弥生人は、水田稲作農耕の技術だけでなく、食犬習慣も持ってきたのである。
狩猟民には貴重な存在であった犬も、農耕民にとっては番犬か、食用犬としてしか役に立たなかったのであろう。
国立科学博物館の日本館でも写真のような展示がある。
ネット右翼の朝鮮人嫌いとリンクしないでいただきたい
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